Quer Swingar Vem Pra Cá(ケール・スウィンガール・ヴェン・プラ・カ)について
Quer Swingar Vem Pra Cá(ケール・スウィンガール・ヴェン・プラ・カ)は、リオのカーニバルのトップリーグに出場する老舗チームG.R.E.S. Unidos de Vila Isabel(ヴィラ・イザベル)の打楽器隊メンバーである宮澤摩周により、2012年に東京で結成されたサンバ団体です。
チーム名は、ポルトガル語で「スウィングしたけりゃ、こっちにおいで」という意味です。
その名前は、宮澤のサンバの師であり、リオ・デ・ジャネイロ(以下、リオ)のサンバの歴史を50余年に渡り築き上げた、パーカッショニスト・作曲家 Mestre Trambique(メストリ・トランビッキ)から授かりました。
団体のルーツをリオに持ち、日本にいながらリオの文化としてのサンバを学び、体現することを目指して日々活動しています。
2020年5月時点の在籍人数は約40名です。
毎週2回のエンサイオ(全体練習)を中心に練習を重ねながら、イベントへの出演やライブ活動等を行っています。
そしてなんといっても、私たちにとっての一大イベントは、年に一度「リオのカーニバル」に参加することです。
このプロジェクトは2018年から始動しました。
毎年メンバーがカーニバルに合わせてリオへ遠征し、当団体のリオ支部Quer Swingar Vem Pra Cá – RIOのメンバーと共に、リオ市内で開催されるストリートカーニバル”Carnaval de Rua”の公式プログラムとして演奏します。
活動の軸はサンバの演奏ですが、その活動を通じてブラジルの文化を知り、現地の人々と直接交流し、団体の父であるメストリ・トランビッキと代表の宮澤が生み出した「リオと東京のつながり」を育て異文化交流の懸け橋となることを目指しています。
団体設立の背景とMestre Trambique(メストリ・トランビッキ)について
当団体の名付け親であるメストリ・トランビッキはサンバの作曲家、パーカッショニストです。
リオのヴィラ・イザベル地区にある丘に住み、多くの演奏家を育てました。
リオだけでなくブラジル国内の多くのミュージシャンから尊敬を集める存在でした。
2016年2月に惜しまれながら70年の生涯を終えました。
当団体代表の宮澤は2005年からメストリ・トランビッキに師事し、師の勧めでリオのサンバチームG.R.E.S. Unidos de Vila Isabel(ヴィラ・イザベル)に打楽器隊の一員として所属、パレードに出場しながらサンバを学び、日本とブラジルを往復する日々を過ごしました。
メストリ・トランビッキの最後の弟子であった宮澤は、2012年のリオ滞在中に師の教えを日本で体現することを約束し、当団体を結成しました。
2015年には師を日本へ招へいし、地球の反対側にもメストリ・トランビッキの音楽が息づいていることを伝えることができました。

Mestre Trambiqueを日本へ招へいし、合同演奏を開催した際の集合写真
代表 宮澤摩周 (Mashu Miyazawa) について
打楽器奏者。2001年パーカッションの買い付けで初めてブラジル(サンパウロ)を訪問。現地音楽の豊かさに魅了されて帰国。同年、東京在住(当時)のブラジル人ミュージシャン、ダミアォン・ゴメス・ヂ・ソウザの声掛けでサンバの演奏を始め、ドラムからブラジリアン・パーカッションの世界へ入る。
2005年ポルトガル語とサンバの基礎の習得のためリオデジャネイロへ長期留学。歌手ペドロ・ミランダ(グルーポ・セメンチ(当時))の紹介で、メストリ・トランビッキ(グルーポ・セメンチ)のミュージシャン向けパーカッションワークショップへ参加、そのまま門下となる。程なくして師の紹介でリオの老舗サンバチーム「G.R.E.S. Unidos de Vila Isabel(ヴィラ・イザベル)」のバテリア(打楽器隊)に入会。以来、正規メンバーとしてリオと東京を半年ずつ行き来する生活を送る。この間、ブラジルの全国誌Veja(ヴェージャ)のカーニバル特集号で「Tem japonês na bateria(バテリアの中に日本人がいる)」というタイトルで大きく掲載され、2013年には大手新聞O Globo(グローボ)の特集号に「Bloco Cordão do Boitatá(ブロコ・コルダォン・ド・ボイタタ)」のメンバーとして写真記事が掲載されるなど、テレビ、ラジオをはじめとした現地メディアでリオと東京での活動が度々紹介されている。2013年カーニバルではVila Isabelの優勝に貢献。2015年、2017年、2019年、2020年も同チームの打楽器隊員としてカーニバルに出場。
2012年、Vila Isabelの打楽器隊のアンサンブルを体現するブロッコ(団体)「Quer Swingar Vem Pra Cá(ケール・スウィンガール・ヴェン・プラ・カ)」を創立。エスコーラ・ヂ・サンバ(リオのカーニバルに出場する大規模サンバチーム)文化の理解と振興に努めている。
2015年に師であるメストリ・トランビッキを招へい、リーダーバンドであるGrupo Cadência(グルーポ・カデンシア)との共演を果たす。2018年にはペドロ・ミランダを迎えジャパンツアーを開催。全公演ソールドアウトとなる。
2018年2月11日、リオのストリートカーニバルの公式プログラムとして、ヴィラ・イザベル地区のバラォン・ヂ・ドゥルモンド広場にてブラジル=日本の合同チーム、「Quer Swingar Vem Pra Cá」で演奏した。リオのカーニバルの長年の歴史を通じ、日本人の団体が公式に出演したのは初めての快挙。その様子は日本のメディアでも紹介された。2018年7月、リーダーバンドであるGrupo Cadência(グルーポ・カデンシア)でリオの若手サンバ歌手の筆頭格、Pedro Miranda(ペドロ・ミランダ)を迎えジャパンツアーを行い、各公演ソールドアウトの成功を収める。2019年にはブラジルサンバ界のレジェンドであるNelson Sargento(ネルソン・サルジェント)やリオの古参名門チーム「G.R.E.S.Portela(ポルテーラ)」の元代表Serginho Procópio(セルジーニョ・プロコピオ)、これまで250以上のサンバの名曲を作曲したシンガーソングライターToninho Geraes(トニーニョ・ジェライス)らの来日公演にてバックバンドを務めるなど、ブラジルと日本の音楽交流の懸け橋として活動する。グルーポ・カデンシアでの活動の他、東京を中心に打楽器隊の演奏指導、パンデイロをはじめサンバ・パーカッションのワークショップを行っている。
上記のアーティストのほか、グルーポ・セメンチ、テレーザ・クリスチーナ、アルフレド・デル・ペーニョ、マルコス・エスグレバ、故オヴィヂオ・ブリト、プレチーニョ・ダ・セヒーニャ等、リオの若手サンバ歌手、ベテラン演奏家との親交がある。