暑いのは好きだけど、こりゃやり過ぎやろ、日本列島。みなみです。
前の記事にも書きましたが、Pedro Mirandaが歌っていた“Imagem”という曲に深く感動したので、紹介させていただきたいと思います。
Imagem(作曲 Wilson das Neves / 作詞 Mestre Trambique)
Olha, se eu for de repente,
Não quero tristeza em volta de mim
Que você guarde a imagem
Do tempo em que fomos felizes assim
Me cubra com rosas brancas
E um cravo sobre o coração
É o pedido que faço
A você, minha paixão
Não esqueça a minha bandeira
O pandeiro, a cuíca e o tamborim
Não esqueça a marcação primeira
Nem tampouco a outra bandeira
E quando sobrar um tempo
Acenda uma vela pra mim
Iluminar uma alma sofrida
É tudo que eu peço, enfim
なぁ、もし私が突然逝ってしまったら
私の周りには悲しんでほしくない
こんな風に幸せに過ごしていたときの景色だけを
心に留めておいてほしい
私を白いバラで覆って
左胸にはなでしこの花を1本置いてくれ
それが愛する君への
私からのお願いだ
私の旗を忘れないで
パンデイロ、クイーカにタンボリン
それからスルドのプリメイラの音も
そしてもう1つの旗も忘れずに
ちょっと時間があるときは
私のためにロウソクを灯してくれ
苦しんだ魂を照らすために
つまるところそれが、私の願いのすべてだ
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摩周さんのお師匠、Mestre Trambiqueが作詞したこの曲。
なんて美しいんだろう。
メロディーもさることながら、意味を知って聴くと、泣かずにはいられないよなぁと。
歌詞の中でいくつか不思議に思った箇所があったので調べました。
まず、なぜ「バラ」と「なでしこ」なのか、ということ。
白いバラはキリスト教において「純潔、無垢」また「聖母マリア」のことを表すそうです。
そしてなでしこ(カーネーション)も、キリスト教において深い意味をもちます。一説では、キリストが十字架にかけられたときに聖母マリアが流した涙がなでしこになったのだとか。
ここでもう一つ出てきた疑問が、どうして「なでしこ」はポルトガル語で“cravo”という名前なのか、ということ(言語オタクですいません)。“cravo”は日本語で「クローブ(丁子)」の意味もあります。この方が直訳っぽいですよね。わたしは嗅いだことがないのでわからないんですが、クローブとなでしこは香りが似ているんだそうです。だから同じ名前で呼ぶのかもしれません。
でもそれだけではないようです。なでしこの蕾はキリストを十字架にかけるときの釘に似ているという説があるそう。そして、クローブは肉を焼くときに釘のように刺して使うもの。形も釘に似ています。そういうつながりがなでしことクローブにはあるのかもしれません。
ちなみに、白いなでしこは処刑される前のイエスとマリア、赤いなでしこは復活したキリストを表すという説もあるそうです。
…はい、以上言語オタクの雑学でした。
Trambique先生は、そういう意味もふまえてこの詞を書いたのかもなぁと思ったり。
それから、この歌詞には「旗」が2つ出てきます。この旗は何の旗?帰国前のPedrinhoに聞きました。
まず、一つ目の旗はほかでもないVila Isabelの旗です。そしてもう一つは、MestreがファンだったサッカーチームFlamengoの旗だそう。やっぱりこういう歌詞にも登場させちゃうぐらいブラジル人はサッカー好きなんだなぁと思いました(笑)
ちょっと話が逸れましたが。
この歌を聴いていて、Trambique先生のお葬式の動画を思い出しました。
参列者が道をいっぱいに埋め尽くして、先生の作ったヘコヘコなどを演奏しながらRenascer das Cinzas(「灰から蘇る」)を大合唱して歩いている様子。
初めて見たときは、日本の静かなお葬式とはえらい違いだ、さすがブラジル、なんてびっくりしたものですが、今思うと、あれはまさにTrambique先生の「お願い」に応えたものだったのかなぁ、と。
もし自分が死んでも、悲しんでほしくない。
自分が遺したサンバのリズムを忘れないで。
残された者にとっては本当に辛く、悲しいことだけれど、逝く側はきっと、自分のせいで泣いてほしくない。最後まで幸せに笑っていてほしい。そうすれば、自分は残された人たちの中に幸せに生き続けることができる。その人たちの中で自分も笑っていたい。
そういう意味が込められているんじゃないかな、とわたしは解釈しました。
ペドロと摩周さんがどうしてこの曲の前に抱き合っていたのか、摩周さんが涙をこらえながら叩いていたスルドのプリメイラの音にどういう意味があったか、少しお分かりいただけたでしょうか。
…という、感慨深い“Imagem”のお話でした。
みなみ